デビルマン大視聴会

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします

それがわかったなら、早速デビルマンの話をさせてもらう。

私が発起人ではないが先日デビルマンをみんなで見るというイベントに参加した

 

イベントと言っても、みんなで映画館に行くわけではない、各々同時刻に、自宅でデビルマンをレンタルやネトフリで鑑賞し、ツイッターで実況するという、多少のこと少しコミュニケーション能力に難がある我々にピッタリの催しだ。

このイベントは1月3日と1月6日の二回あった、正直正月にやることは他に5兆個あると思う。

だが私は2DAYS参加、全国ツアーなら「全通」だ、これは15年近くデビルマンを憎み愛したものの義務である。

つまり15年「実写版デビルマンはクソだ」と言い続けたということだ。もはや威力業務妨害で逮捕されてもおかしくない

だが私は「クソだ」と言ったあと「だから見てくれ」と言い続けてきた、飲食店で言えば「あのカレー屋はウンコを出すからぜひ食ってくれ」と言っているようなものだが、食う価値があるウンコだからそう言っているのだ。

そもそも私は映画のことをそんなに悪く言わない、というか「悪い」とすらほとんど思わない、映画館に入って「画面がでかい」と気づくや否やその映画は50点以上にはなる。

あの悪名高きキャシャーンも私は劇場で見ているが、マジでつまらないともクソとも思わなかった、話はよくわかんねーけど、画面は中二的にそそられるし、大演説も良い事言ってる、宇多田ヒカルのプロモと思えばニ兆点!と思っていたので、ネットで酷評を見て「マジか」と思ったほどだ。

そもそも知識と教養がなく、服に火がついてても上半身が全焼するまで気づかないほど鈍いので「物語的に今のはおかしい」ということにはほぼ気づかないし「その設定はないわ」と誰もが失笑する部分にすら「そんなものなのか」と思ってしまう。

それに、出演者やスタッフ、多くの人間が労力をかけて作ったもの、何よりこの俺様が1800円払って二時間費やしたものがクソなわけがない、いやクソにしたくない、という気持ちがあった。

そんな自分が初めて劇場で1800円払って見てる最中で「これはクソだ」と思ったのがデビルマンである。

 

映画館で私は初めて自分の体が燃えていることに気付いたのだ。

 

私は自分と自分のセンスに自信がない、よってオタクのくせにあまり「布教」が出来ない、人にすすめて気に入ってもらえなかったらどうしようという不安があるからだ。

そんな私がいつだって自信を持って人に勧められたのがデビルマンだ「きっとあなたもクソと思ってくれるはず!」という確信にも似た自信が常にそこにあった。

つまりデビルマンは私が15年布教活動を続けた「推し」なのである。

よって、デビルマン同時上映会で、ツイッターが悲鳴にも似たデビルマンの感想であふれかえった時は、推しが東京ドームを満員にしたかのような感慨があった。

だが私は最前列には行かない「一番うしろで腕組みしながら時々頷いてる奴」だ。そして「やっぱ俺の推しはデカいハコだと映えるな」と思っていた。

平成が終わる。

 

しかしクソ邦画界はデビルマンが15年前に終わらせた。

これを超えるクソ邦画が現れるまで、私は古参老害デビルマン厨としてそう言い続ける

 

 

 

 

 

 

 

 

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