社会とは

連続してのブログ更新だがどうせすぐに飽きるに決まっている。

飽きて、放置し、また思い出した時に書く、それを繰り返すしかない、救いはどこにもない

 

ブスの家訓、ブスの話は出てこないし、たまに宇宙の話も出てくるが、主には家庭がテーマである。

しかし出てくるとしても夫、実家、そして義実家ぐらいまでであり、ご近所の話はほとんど出てこない。

何故なら会ったことないのだ。さすがに知らない人のことは書けない。

これは近所の人が、みんな得体の知れない人ばかりというわけではなく、もちろん私の方が未確認引きこもり物体だからだ。

私は9年務めた会社でもほとんど誰とも会話せずに過ごしてきたが、近所の人とはもっと話していない、おそらく6年間で5会話もしてない気がする。

 

そんな「住民を見かけない謎の家」(本当にそう言われているという衝撃の事実が、私の近所の人に知り合いがいる友人により発覚した)の「社会性がない方」の私が、今年区の班長をやることになってしまった。

職を失ってから、社会保険とか雇用保険とか、厚生年金とか、あらゆる社会保障を失った。しかしそれは社会を失う代わりに、社会に関わなくて良いという意味ではなかったのか。

そんな「これで勘弁してくれ」とあらゆる社会を置いて社会から逃げ出してきたのに、その翌年また社会に関わらなければいけないというのは「残酷」の一言だ。

 

これを考えると「ブスの家訓」にも書いたが、何故、一戸建てを選んだのか、という話である。

一戸建てというのは数ある住居の中でも一番社会と関わりがある気がしてならない、社会が嫌なら一生「治外法権」という佇まいの賃貸に住めば良かったのだ。団地に住んでいれば「町内会」というものは避けられないし、居づらくなった時引っ越しもままならない。

家賃を払うなら自分のものになる持ち家が良い、と言うが、それは逆に「ずっとそこに住まなければいけない」ということであり、有事の際の「デカすぎる荷物」になりかねないのだ

そもそも、出来て10年ぐらいで、ほとんどが子連れファミリーという団地において、二人で一戸建てに住んでいるというのも、近所からするとなかなかの「怪」な気がしてならない。

ついでに言えば、庭の手入れもする気がなく、隙あらば、コンクリを流し込むリフォームの見積もりを取ろうとしている。

不動産を買う時、まず考えるのは予算かもしれないが、真に考えるべきなのは「己の性格」だ。

だが、今それを嘆いてもしかたない、俺は班長として、まず近所一件一件回って町内会費を集金するという、最初にして最大のミッションインポッシブルを果たさなければいけない。

だが、私は約まる1年引きこもったことにより「老婆」になっていたし、季節が春になったことに全く気付かったので、冬のセーターしか外に着て行けるものを持っていなかった、あとは自分の顔がプリントしてあるTシャツぐらいだ。

そしてさらに近所からしてみれば私は「面識のない人」である。

そしてこの期に及んで「近所を回るのにわざわざ化粧なんてしたくない」と思っていたし、毛穴が広く深くなりすぎて、BB(ブスババア)クリームではもはや何も隠せない。もし死体を埋めたいなら私の毛穴が良いと思う

そんなわけで私は「マスク」をつけて集金に向かった。

今思えば「狂っていたのか」というレベルの愚策である。

誰だってこんなのが玄関に立っていたら嫌だろう。

完全に不審者、良くて宗教だが、仮に宗教だとしても、お前は何も救われてないから、早く脱退した方が良いとしか言いようがない。

少しでも近所付き合いがあれば、近所の変わり者の家の人が来たとわかるが、何せ相手からしたら「知らない人」である。

しかし、ドアフォンで班長であることを告げると、ありがたいことに、みんな出て来てくれた。

相手も「誰や」と思っただろうが、俺も思った。

さすがに、両隣と向かいぐらいの人なら1回は顔を合わせたことがある(引っ越しの時)、しかし二軒隣になると、マジで「初対面」だった。

私にとっては、全く面識のない人の家に金を集めに行くと言うのは恐怖でしかなかったが、多分相手も怖かったと思う。

しかし、幸い近所の人はみな「奥さん」という感じの人が多く、ネグリジェにカーラーみたいな人は出てこなかった、どちらかと言えば私の方が冬のセーターにマスクという『そちら側』である。

何とか、集金を終え、役員に上納することが出来た。

 

これは快挙と言っていいのだが、この偉業を、夫はいまいちわかってくれない。

社会性のある奴にはわからんのですよ、このすごさが

 

 

 

 

 

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