ドラマハンニバル

 

本日のコラム更新 クズの遠吠え ハクマン。

原作に忠実すぎると、話題沸騰中の「きのう何食べた?」だが、私は知能指数の問題でテレビの見方が良く分かず、気がついたらリモコンを食べようとしていることが多いため、SASUKEがある時以外テレビには近づかないようにしており、リモコンも私の手の届かないところに置いている。

 

よって何食べも見れないのだが、ツイッターで「ドラマ版ハンニバル」は何食べに酷似している、という情報をを見かけたので、それをPCで先に見ることにした、さすが俺たちのツイッター有益情報しか流れてこない。

 

ちなみに私ハンニバルシリーズを見るのははじめて、拘束着おじさん以上の知識がまるでない。

ドラマ版は、臨時FBI捜査官のウィルと、若き日の精神科医、ハンニバル・レクター博士を中心に進んで行く。

ウィルは殺人犯の気持ちに「わかり哲也」となることで、犯人がどういう考えでどう動いたか推察できると言う特殊能力を持っているのだが、あまりにも殺人犯に哲也しすぎることから精神的に不安定である。

そんなウィルをサポートするために、あてがわれたのが、ハンニバル・レクター博士である。

もうこの時点で「ウィル終了のお知らせ」と視聴者は思うのだが、本当にウィルはものすごいスピードで精神的に終わっていき、夢遊病や解離性なんとかを発症したりと、どんどん病んでいく。

そもそも、医者はハンニバルだし、上司は恫喝型だし、ヒロインときたら、熱いキッスをした後で「つきあえない」「上手くいくわけがない」の一点張りという、中途半端ここに極まれりだし。これは特殊能力があろうがなかろうが病みますよ、という話なのだが、弱っていく天パの男が大好きという人は絶頂が止まらない仕上がりとなっている。

物語は一応、1話ごとに猟奇殺人事件が起きてそれを解決していくという体なのだが、それは結構どうでも良い。

何故ならどんなに変態殺人鬼が出て来ても「いやそれよりもうちのハンニバルの方がすごいっすよ!」みたいなノリでそんなに掘り下げないのである、変態も変態甲斐がない。

よって、推理サスペンスを期待するとずっこけると思う。

じゃあ何を楽しめば良いかというとやはり「何食べ」ではないだろうか。

このドラマでは必ずと言って良いほど料理が出て来て、ハンニバルが料理をするシーンは思わず見とれてしまう

ハンニバル役のマッツ・ミケルセンは、私にとっては007カジノロワイヤルでボンドのキソタマをしばきあげていた人という認識だったが、この美しい料理シーンを見ていると、認識が変わりそうだったので、ハンニバルを見た後もう一回カジノロワイヤルを見直して、ボンドのキソタマをしばいていた人という認識を新たにしなおしたほどだ。

しかし、何せハンニバルである「きのう誰食べた?」と言われるように、料理に使われている肉が何の肉かはお察しな所がある。

だが原材料が俺たちであると思って見ても、料理シーンは美味そうに見え、グロイとは思わないので本当にハンニバルの料理シーンはすごいのだ。

しかし、前述の通りとにかくウィルが可哀想なため、ウィルに感情移入するとこのドラマはどんどん見るのが辛くなる。

特に、ウィルがヒロインとキスした後、わざわざそれを夜中にハンニバルに報告しにいくという、どんな凄腕の童貞でもやらないことをやってのけた時は「何だかんだでハンニバルのこと信頼してんだな」と胸が痛くなった。

 

それにもかかわらず、ハンニバルには裏でウィルを陥れるよう画策したり、誰食べた?をやっているのである、可哀想すぎる。

私も、ウィルの可哀想さが他全てを凌駕してしまい「これ以上はいけない…」という気分になったのだが、同時に「あの女記者がブチコロ助されるのを見ずに終わっていいのか」という気持ちが湧き上がって来た。

ハンニバルには、私が見た範囲ではとても腹の立つ、女記者が出てくる、こいつがチーズ蒸しパンとかになるのを見届けないままリタイアするというのは、逆に何のためにハンニバルを見始めたのかわからない。

もちろん、コロ助されるかどうかはわからないが、されないとしたら、それこそ「嘘だろう」である。

確かに最初ムカつくキャラがどんどん良くなって活躍するみたいな話は王道だが、そういうエクスキューズはいらない、俺はマッツが、あの女を手際よくチーズ蒸しパンにする姿が見たい、それだけなのだ。

このように視聴者を不愉快にさせるキャラというのはある意味で、「そいつが死ぬまで見させる」というモチベーションになるのだと学んだ。

私にとっての担当のように「こいつが死ぬまで死ねない」という存在はある意味「希望」なのだ、と

 

 

 

あわせて読みたい